2012年11月25日

ブック・カフェ

 これまでの書き込みで、音楽ネタが多かったように思われるこのブログですが、実は、あまり音楽に詳しいわけではなく、前回書いたように映画も好きなのは好きなんですが、最近あまり観ていないので、映画や音楽を「好き」と公言することは少々憚られます。
 が、本は好きで、仕事が忙しい中でも、常に読みかけの本はあって、時間があれば何かを読んでいますので(忙しいときは寝る前に少しだけとかになってしまいますが)、「本好き」は自信を持って公言できるのではないかと思います。ちなみに、映画と音楽と本に対して好きな順で順位を付けるとすれば、「1に文学、2に映画、3、4がなくて5に音楽」となります。ところで、1位が「本」でなく、「文学」という表記にしたのは、これは、語呂がよかったという理由と、「本」そのものでなく、「本を読むこと」が好きであるということを明確にする意味とがあるのですが、「本を読むこと」とは別に、「本屋巡り」も好きですし、「本を集めること」も好きではあります。
 「本屋巡り」ということで言えば、都市型の大型本屋さんも好きですし、小さな古本屋さんも好きで(商店街などにある町の小さな本屋さんはあまり好みではないです。商店街の本屋さん、がんばってるのにすみません。応援してます!)、出張や旅行の際には必ずといっていいほど本屋には足を運ぶのですが、萩で(数少ない)私が不満に思う点が、「本屋が少ない」ということです。図書館は、最近、とてもきれいで大きな図書館が新しく出来たので、この点はすごく良いことで、萩の自慢できることの一つだと思うものの、何でも揃うような大型の本屋さんと店主の趣味を前面に押し出したような個性的な古本屋さんがないのが残念です。「街の文化度はその街の本屋で決まる」というのは、私が勝手に作った言葉なのですが、萩で個性的な本屋さんか古本屋さんをする人が出てきたらいいなと常々思っています。願わくば、おしゃれなブック・カフェなぞできたら・・・。

  と、いうような思いが嵩じて、先日、ラ・セイバのマスターが出す野外カフェに私が選んだ本を勝手に置かせてもらいました!1日限りの企画(『アルテコ』というアートとエコの祭典でした。もっとも、『アルテコ』自体は、今後も2回、3回と続けていくそうです。)のなんちゃってブック・カフェでしたが、古本屋さんの店長になったような、とても楽しい気分を味あわせていただきました。ラ・セイバのマスター、ありがとうございます。
 私の場合、本はほとんど文庫版で読んでいて、蔵書のほとんどが文庫本なので、私が持っている本を並べて置くだけではあまりぱっとしないだろうと、この企画が行われると聞いた時から私の気になる写真集や絵本などを購入して、この日に臨みました。急あつらえだった割には、何となく、イメージするおしゃれブック・カフェになったのではないかと思います。

  その時の様子を。


   楽しみの読書もままならない最近の忙しさでしたが、秋空の中、好きな本に囲まれて美味しいコーヒーをいただき、気分も一新、また、仕事にがんばれそうです。

2012年11月21日

知性を操る

 久しぶりの書き込みとなります。

 先週17日(土)に、防府市で開かれた「見える事例検討会」に参加してきました。成年後見制度に係る困難事例をマインド・マップを使って検討するという事例検討会なのですが、会の詳しい説明は他のところでも書いているので、ここでは紹介いたしません。興味がおありの方は、
          http://suzukitakae.com/mierujirei/
をご参考に。
 その会で、講演をされた講師の先生が、最後に、「これからは知識を操る時代ではなく、知性を操る時代だ」というようなことを言われていました。どこかの外国の教授か研究者の言葉だそうですが、その方の名前も聞き漏らしてしまいましたし、引用も正確なものでないかもしれません(すみません・・・)。
 ですが、今回はこの言葉について考えてみたいと思います。

 「知識を操る」というのは、知識を収集して、それを発表したり、何かに適用したりすることだと思うのですが、「知性を操る」というのは、要するに、自分の頭で考えるということだと思います。この「自分の頭で考える」というのは、受験勉強や経営者向けセミナーやサラリーマン出世術など、いろんなところで割とよく言われることではあるものの、実際のところどういうことか?と問われると、なかなか答えるのが難しいのではないでしょうか。

 その昔、私が大学生のころ、映画に嵌まった時期が一時期ありまして、映画評論家の蓮實重彦氏の映画評論を読んでは、そこで紹介されている映画を(DVDでなく)ビデオで借りて観たり、単館上映の映画館に観に行ったりとしていました。もちろん映画も好きだったのですが、蓮實氏の映画評論自体が面白く、映画評論以外の本もちらほらと読んでおりました。そんな中に、「理解するということは、実は、誰にでもできる一番簡単なことだ。」というようなことが書かれてあったのに、いたく感銘を受け、心に残っております。とはいえ、正確にどのような言葉で書かれていたのか、出典が何という本であったのかも覚えていません。実は、これを書く前に、いくつか自分の持っている本をあたってみたのですが、上記のようなことが書かれている本は見つかりませんでした(すみません・・・。なんか、今回は全部あやふやな記憶に基づいて書いて、申し訳ないです。)。
 その意が正確かどうかは分かりませんが、たとえば、ある人の思想を理解しようと思ったところ、「こうこうである」という説明がされていれば、その思想が「こうこうである」ということは、それを読めば誰でも「分かる」のであって、そのこと自体は全然難しいことではなく、誰にでもできる簡単なことである、ということなのではないかと思います。このような意味で「理解する」ということは、誰かによって既に一度考えられ、言葉にして説明されたことを、そのまま正確にたどって再現することに過ぎないのであって、決して難しいことではない、本当に難しいのは、「自分の頭で考える」ことだと・・・。
 と言っても、やっぱり、「自分の頭で考える」というのがどういうことかは分かりませんね。

  そこで、もうちょっと自分の本棚を探してみたところ、蓮實氏の著作で私が見つけた本の中に、「何かを理解することと『何かを理解したかのような気分』になることとの間には、もとより、超えがたい距離が拡がっている」という記述がありました。上記で私が書いたように、新聞などで「こうこうである」という説明がされていて、それを読んだ人が「こうこうである」と「分かる」というのが、実は、「何かを理解したかのような気分」になることだと思います。世の人は「何かを理解したような気分」をはば広く共有することで安堵感を得るのですが、このように、人は、程よく納得した、何となく理解したような「気分」に安堵して、対象を詳細に分析したり、検証したりという手続を必要としなくなります。これに対し、本当に「理解する」ということは、「知性を駆使した分析と総合」であると蓮實氏は述べます。
 はあ、これでもやっぱりよく分かりませんね。

 しかし、冒頭の「知性を操る」というのと「知性を駆使する」というところで、何となく共通点が見い出されたように思えます。要するに、「自分の頭で考える」というのは、知性を操ったり、駆使したりすることだと言えるのでしょう(これも、程よい納得、「何かを理解した気分」?)。
 

 さて、それで、今回のブログで何が言いたいのかといいますと、成年後見制度を巡る、高齢者の虐待などの様々な問題が絡んだいわゆる困難事例の相談が私のところにも多く寄せられるのですが、知識や情報を操るだけでは解決できない難しい問題が数多くあって、そのような場合、知性を操り、駆使しなければ、到底、問題解決に導けないのではないか、逆に言えば、知性を操り、駆使することをすれば、そのような困難事例も何とか解決に導くことができるのではないか、そういった意味で、「知性を操る」というのは、困難事例の相談を受ける我々にとって、肝に銘ずべき、実にいいフレーズだなあ、と思う、ということなのです。

 あ、なんか、すごい、「気分」で話してますね。「知性を操る」というフレーズを口にすることで安堵してしまって、本当に自分の頭で考えて話してるか疑問ですね。ダメですね。
 しかし、まあ、「考え」が言葉で記され、説明された以上、既に「知識」「情報」になってしまっているのですから、もとより、このブログでの駄文が「知性を駆使している」と評価されることはあり得ないのかもしれません。あくまで日々の行動・実践の中でこそ、「知性を操る」ことが可能なのでしょう。
 ・・・日々の行動と実践。成年後見制度を巡る困難事例ならずとも、依頼者からの相談案件に対してはすべからく、日々全力で、知性を操り、駆使して、問題解決に当たることを肝に銘じます。
 

2012年8月13日

ロンドン五輪

 男子20キロ競歩で、グアテマラのエリック・バロンド(21歳)が2位に入り、銀メダルを獲得。中米の小国グアテマラに初の五輪メダルをもたらした。
 自国の治安の悪化を心配するバロンドは、「この銀メダルが子供たちに勇気を与え、銃やナイフを置いて代わりにトレーニングシューズを手に取ってくれればいい。そうなったら自分は世界一の幸せ者だ。」と語った、とか。

2012年5月5日

ロックでない奴ぁ


 数年前、大阪にお正月休みで帰郷していた際、新年を迎え、2日か3日の昼ごろ、萩に戻るために両親と一緒に実家から新大阪まで車を運転していた時のことです、車のラジオから私が以前によく聞いていた大阪FM802の男性DJの声が流れてきました。懐かしい思いで、耳をそばだてました。新年初の登場らしく、これから番組が始まるようです。男性DJは、新年の挨拶のあとに、「新しい年を迎えて、新成人や、新入社員になる皆さん、あるいはこの番組をお聞きの皆さんの中にも、これから先、色々と人生の岐路に立たされ、迷うことがあるかもしれません。そのように人生の岐路に立たされ、迷った際、僕は、『ロックかロックでないか』を基準に決めたいと思います。ぜひ、皆さんも、ロックかロックでないか、迷われた際の判断のひとつにしてみてはいかがでしょうか。それでは、新年最初の曲はこの曲です。」と言って、それから怒髪天の『ロックでない奴ぁロクデナシ』がかかったのでした。
 まあ、なんというか、衝撃でした。
 曲が衝撃的だったのもありますが、新年一発目の曲にこの曲を持ってくるDJの心意気というか、その前振りのMCも考えると、「ロックでなくちゃあ・・・」と、これからまた両親と別れ一人萩に向かう新年に、自然と心が奮い立たされる思いだったのかもしれません。ちょうどその頃、以前の事務所を辞めて、一人で萩でこの萩・山口法律事務所を開設したころでした。何の縁故もない萩で独立して仕事をすることにはやはり躊躇も葛藤もありましたし、悩みました。東京の修習先の先生を頼ることや、大阪に戻ること、あるいは山口市内のお世話になった先生の援助を受けること等、色々な選択肢が頭を巡りました。けれど、一番最後に自分で決める際に決め手となったのは、「ロックかロックでないか」ではありませんが、自分に言い訳をすることのない道を選ぼう、ということでした。 そんな思いがまだ焚火の熾きのように私の心の中に残っていたからでしょうか、このDJの方の言葉と怒髪天の曲を聴いて、萩で独立するという自分の選択は決して間違っていなかったと、この日、胸が熱くなり、思いを新たにしたというのが、もうかれこれ3~4年前のことでしょうが、記憶に新しいです。

 それから、月日は流れ、先日、社会福祉士さんら数人の方と懇親会をした際のことです。
 これまで社会福祉士さんとは勉強会等で意見交換を行い、交流をすることはあったものの、飲み会などでは、あまり深く仕事の話や個人の仕事に対する熱い思いなどを聞く機会が少なかったのですが、この日は懇親会がメインということもあり、仕事を離れ、雑談から日々の仕事の悩みまで幅広く話をすることができました。そんな中で、個々の社会福祉士さんそれぞれの仕事に対する熱い思いや情熱も聞くことができて、とても興味深かったです。
 この日の懇親会も二次会に入り、私もかなりお酒がまわり、話題は真面目に後見制度について議論が移った際のこと、中でも一番のベテランの社会福祉士さんに対して、私が、「ある方にどうしても後見人が必要な場合なんだけれど、お金もないし、面倒くさい事案だし、誰も後見人の成り手がいない、というケースで、誰もやりたいって人がいないのだけれども、『私やります』って言ったらかっこよくないですか?」と話題を振ったのです。そうすると、そのベテランの社会福祉士さんは、「そう、かっこいいか、かっこよくないかはすごく大事なんだよ。」と、熱心に私の話に食いついてきてくださいました。この方も、後見制度や後見人の身上監護や財産管理のあり方について、確固たる理念を持って仕事をされている方ですが、基本は、自身が「かっいい」と思えるかどうかという、ぶれない芯を持って仕事されておられるんだなというのを感じました。
 この社会福祉士さんが、「かっこいいか、かっこよくないは大事なことだよ」という話をされた時、私は、数年前に聞いたあのラジオの言葉、「ロックかロックでないか」を思い出していました。

 実は、わたくし、ロックはあまり聞かず、おこがましくもロケンローラーとは言えませんが、今後も、何か人生の岐路に立たされ、迷った際には、「ロックかロックでないか」を判断基準にしていきたいと思います。そんな気持ちで、先般、成年後見を受任する法人「一般社団法人 萩長門成年後見センター」を立ち上げたのですが、それはまた別の話。


 ちなみに、怒髪天の歌詞は、以下のとおりです。

「胸を焦がすような熱い想い 全部捨てて暮らすのが マトモな人生か?
 (中略)
 手堅く平坦な道も 悪くはねぇんだが
 へたれにゃちょいとわからねえ 男のロマンだぜ
 ここが土壇場 正念場
 人生劇場 主役はおれだ!
 どちらにしようか迷ったら どっちがROCKだ? これで決めるぜ!」


2012年4月6日

40

春ですね。
  春といえば、先日、あの~、私事ではありますが、めでたくと言いますか、全然めでたくもないのですが、え~、ま、何と言いますか、その~、とうとう40歳になりました!

  巷では、「30代でしておかねばならないなんちゃら」とか、「30代にやっておいてよかったなんたら」という本なんかも人気のようで、私も40歳になるにあたって、本屋さんでこのような本を手に取ってみて何かやり残したことがないかを確認してみようかとも思ったのですが、よく考えたら、40歳になってしまったので、30代にしておかなければならないことを確認しても、もはや手遅れなわけで、そうすると、読むとするなら、「40代でしておくべきうんぬんかんぬん」という本を読まなければいけないことになるのですが、まだ、40代になったばかりで、40代とは今後10年もおつき合いしなければならないことを思うと、そんなに急いでやらなければいけないことを確認する必要もないでしょう、ということで、結局、このような本を手に取る機会は、これからもしばらくはないのかもしれません。まあ、そんなこんなで、区切りなどというものにそれほど大した意味などないのではないかと思うのですが、何となく30代の最後、39歳の最後の日に何か?と考えた際に、この歳になるまでの過去を振り返って、これまでお世話になった方々に、言えなかった感謝の気持ちを改めて述べるのはいかがなものかと、39歳の最後の日なだけにサンキューというのは最高にしゃれているのではないかと、一人悦に入って考え、これまでお世話になった方々のことをひとりひとり思い浮かべながら、感謝の気持ちを新たにしつつ、この日(39歳の最後の日)を過ごしました。ま、直接に感謝の気持ちを伝えなければ意味はないのでしょうが。

  さて、40歳になったからといって何がどうということもないのですが、40歳になって困ったということを挙げるとすれば、それは、年齢を聞かれた際に「40です。」と言わなければいけないことで、それのどこが困るのかといえば、私の見た目が40歳に見えないのではないかという不安があるからなのです。というと、見た目が老けていて、もっとおっさんに見えるのかというと、そうではなくて、逆に若く見られるのではないかという心配があるのです。確かに、若く見られるのは必ずしも悪いことではないかもしれませんが、この仕事、やはり若いよりもある程度歳がいっている方が安心感があるというか信頼が持てるということがありますので、あまり若く見られると、「大丈夫か?」と心配されるというマイナス面もあろうかと思います。まして、落ち着きがなく、年齢に見合った内容が伴わないから若く見えるのではと思われては、私としても返す言葉がありません。
  私も今年で弁護士7年目。弁護士会の中では、もはや新人ではなく中堅といえる立場です。そこで、こうして40歳の報告をして、確かな経験と実績をさもしくもさりげなくアピールしたりするのですが、ここでこうして宣言することで、この一年で年齢に見合った落ち着きを身につけられたらという有言実行の思いもあります。
  ところで、私が昔読んだ本の中で、主人公が、年齢よりも見た目が若いことを指摘され(指摘した人は褒めるつもりでなく、少し揶揄するニュアンスで言ったのでしょう)、これに対して、その主人公が「人は、威張らなければ歳を取らないものです。」という意味のことを答える場面がありました。何の本で、どのような話であったのか、記憶が曖昧なのですが、このセリフだけが、妙に記憶に残っています。高校生ぐらいに読んだ本のはずですが、私は、その後ずっと忘れずに、この言葉を常に頭の片隅に置いていたように思います。今では、「先生」と呼ばれる立場になりましたが、だからといって、決して偉ぶったり、威張る必要はないと考えていますし、威張らなければ尊敬されたり、信頼されないのであれば、尊敬されたり、信頼されなくても結構とも考えています。ただ、そうは言っても、もう少し見た目が落ち着いて見えたらいいなあとも思いますので、偉ぶったり威張ったりしないで、年相応に見えるようにするにはどうしたらいいのでしょうかね?やはり、人間的な中身の充実でしょうか・・・?
  と、不惑にして惑うばかり。

2012年2月1日

No Problem

ご挨拶が遅くなりましたが、新年もよろしくお願いします。

 さて、そろそろ映画や音楽などの趣味の話でも書こうかと思っていたのですが、せっかくの新年最初の書き込みなので、今年の「意気込み」みたいなものも書かなければとも思いますので、両方をミックスした趣味と意気込みの話でもひとつ。

 
 私がプロフィールでお気に入りの音楽として挙げている「Flight to Denmark」ですが、デューク・ジョーダンのこのジャズ・アルバムは、他に挙げている「ワルツ・フォー・デビー」や「サムシング・エルス」といった超メジャーなアルバムと比べると、ややマイナー感があるかと思われます。ですが、私は、このアルバムが大好きで、家で毎日かけていても全然飽きないほどなのです。「ワルツ・フォー・デビー」や「サムシング・エルス」も、何度聴いても「いいな~」と感じられる名作ですが、やはり時と場合を選んで掛けたくなる音楽で、家でご飯を食べながら毎日聴くというアルバムではないように感じるのものの、この「Flight to Denmark」は、不思議と飽きません。まあ、悪く言ってしまえば、カフェ・ミュージックのように聴きやすい、部屋で何かしながら聞くようなBGM的な音楽ということになるのかもしれませんが。
 私がこのデューク・ジョーダンのアルバムを知ったのは、萩の私のお気に入りのカフェレストラン「ラ・セイバ」に置いてあったのを見つけたのがきっかけでした。ここのマスターは音楽好きで、私はよくお店に置いてあるCDを借りて帰るのですが、借りるCDは毎回はずれなく良いアルバムなのです。「Flight to Denmark」は、ジャケットが気に入って、直ぐに借りて帰ろうと決めました。ジャケットは、雪原で一人コートを着て佇むデューク・ジョーダン(だと思う男性)の写真で、凛とした中にどこか哀愁がただよう様子に心惹かれました。家に持ち帰って聞いたところ、やはり音楽も、哀愁漂うメロディーの中にピンと張りつめたものがあって、胸に響きました。アルバムの1曲目。最初に、ジャ~んとシンバルが鳴り響き、独特のイントロが。その後、チャンッ!と高音のピアノが叩かれ、もう一度、チャンッ!そして、印象的なピアノリズムが奏でられ曲が始まります。このメロディーが胸がぞわぞわするほど哀愁漂う感じでとてもいいです。その後の曲も、明るいアップテンポな曲で楽しくなるメロディーも多いのですが、どこか雪原で佇む一人の男性を思わせる美しくも哀しい感じを醸し出しています。
 さて、趣味の話ばかりで全く「意気込み」の話が出てきませんが、これからです。
 このアルバムを借りてから後に初めてラ・セイバに行った際のことです。私は、ラ・セイバのマスターの朗太さんに、このアルバムがとても良かったという話をしました。すると、朗太さんは、「僕がこのお店を作る前、このアルバムみたいなお店を作りたいなと考えながらよくこのCDを聞いていました。」という話をされ、私は、はっとしました。朗太さんの言葉の意味がすごく良く分かるような気がしたのです。
 私は、この「Flight to Denmark」のCDを借りてから、何度も繰り返し聴き、何故、こんなに心惹かれ琴線に触れるメロディーなんだろうかと考えたのですが、それは、適度にキャッチーな、ある意味通俗的なメロディーなんだけれど、それを通俗に堕さない「何か」があるからじゃないだろうかとそんなことを漠然と考えていたのでした。その「何か」というのは、はっきりと言葉で表すことはできないのですが、この「Flight to Denmark」のデューク・ジョーダンにはそれがあるような気がしたのです。CDレヴューを読むと、「チャーリー・パーカーのもとで活躍したデュークも、1962年以降主だった活動もなく、タクシーの運転手をしたりしていた」ところ、「一定のジャズファンが存在し、人種差別も比較的少ないデンマーク」に渡り、1973年にアルバムを録音した。それが「Flight to Denmark」でした。音楽の世界を離れタクシードライバーをしていたデューク・ジョーダンに一体何があったのかは知らないけれど、デューク・ジョーダンはデンマークに飛び、そしてこの美しい(と言ってしまっていいでしょう)アルバムを作った。人生分からないものです。
 ラ・セイバのマスターである朗太さんも、数年前に関東の方から萩に来られ、ラ・セイバを作られました。萩の地元の人々だけでなく遠くから来られる観光客にも愛される素敵なお店です。皆に愛される、気取らない、親しみやすい、「通俗的な」、「キャッチ―な」お店ですが、凛とした「何か」がラ・セイバにも(そして、朗太さんにも)あります。そんなところが、私がラ・セイバに惹かれる理由だと思います(言い忘れましたが、朗太さんの作る料理は掛け値なしに美味しいです!)。
 さて、ここまで来れば、もうお分かりかと思いますが、私の「意気込み」です。
 私も、朗太さんの言葉を聞いて思ったのです。「Flight to Denmark」のような事務所を作れたらいいなと。気取らない、親しみ深い、明るく暖かい雰囲気の中にあって、それと矛盾することなく、雪原に凛とたたずむ一人の男性のイメージ・・・。
 と、言われても、全くイメージが沸かないと思いますので、百聞は一見(聴)に如かず。
 お待たせしました、アルバム「Flight to Denmark」から No Problem です。

http://www.youtube.com/watch?v=HDzaINwBpA0&feature=related